【愛犬の失明】犬の目が見えないことは不便であるが不幸ではない

2014年に旅立った愛犬(ダックスフンド)は、進行性網膜萎縮症で2歳で失明しました。
当時のことを振り返りながら記しています。

悲しくて沢山泣きました。
確定診断後、飼い主として出来ることを模索し始めました。この経験や思いがお役に立てましたら幸いです。

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動物医療センターにて

「あなたの犬は進行性網膜萎縮症です。これは治ることがない病気です。」と告げた動物医療センターの眼科医は、落ち込んでいる私に「犬は、私たち人間の様に視覚に頼った生活をしていない。飼い主のあなたがその状態を知ってサポートすることで幸せに暮らしていけますよ。」と告げた。

不便であるが不幸ではない

遺伝の病気なので防げたのであろうが、うちの犬が不幸かそうでないかをここで語るつもりはない。

ただ、今、振り返って思うのは、不便であるが不幸では無かった、と思う。
また、初めて迎えた犬が、この犬で良かったと思っている。

犬と暮らす先入観が無かったので、普通に扱うことができたから。
ただ、犬の目の見える仕組みをきちんと学ばなければ、と思っていた。

暮らしの中で

よく風を感じていた。ドアが開いていれば勢いよく走るが、ドアが閉まっていれば、その前で立ち止まる。

テーブルや椅子の脚を器用に潜り抜け、活発さは以前と変わらない。
ただ、見えていないので床に置いた雑誌などには躓いてしまう。

床にはとにかく不用意に物を置かない様に注意した。
投げたボールを取りに行けなくなった代わりに、音が鳴るボールがお気に入りになる。

咥えながら、うるさいくらいピーピー鳴らしながら走るのが好きで、「もう今日は終わりね」と片付けると、片付けた場所がその都度違っても、その場所をよく覚えていて、背伸びして欲しがっていた。

また、階段は勢いよく登るが、下りは苦手で立ち止まる。

ただ、見えていなくても階段の上り下りが自由に出来る犬もいるので、うちの犬は、たまたま階段の下りが苦手だっただけなのかもしれない。

ちなみに、ソファやベットは飛び乗ることは、飛び降りることも、難なくできた(犬、特に脚の短いダックスは、高さのあるところからの飛び降りは、椎間板ヘルニアを招くため本来は避けた方がいいです)。

お散歩や外で

普段、私がいきなり触っても驚くことは無い。

しかし、見知らぬ人に頭を撫でられると驚くため、お散歩で出会った人が何気なく触ろうとするたびに必ず「目が見えていないので」と言わなければならなかった。双方の安全のために。

「かわいそう」と言われることもあり、最初は、少し惨めな気がしていた。

しかし、瞳孔が開いているので、目が大きくまん丸で愛らしく、よく声をかけられた。
笑顔を振り撒きながら元気に歩くので、犬の雑誌のスカウトを受けたこともある。

目が見えなくても、お散歩自体にはあまり不自由しなく、目が見えている頃から、よく声をかけていたからか、右・左などの言葉と意味を覚え、また、段差は「ぴょんして」と声をかけると跳んでくれるので、外で躓くことは少なかった。

いつしか、犬の目が見えないことを、私自身が気にすることがなくなっていた。

目が見えない犬と飼い主のサークル

確定診断から数ヶ月後。
「目の見えない犬と飼い主のためのサークルを立ち上げようと思うので、参加してくれませんか」と先の動物医療センターの眼科医から連絡があった。


飼い主としての想いや取り組んだことを当時を振り返りながら記しています。
次回は「目が見えない犬と飼い主のサークル」に参加した当時のことを記そうと思います。
お付き合いいただければ幸いです。

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