2014年に旅立った愛犬(ダックスフンド)が、
進行性網膜萎縮症で2歳で失明した当時のことを振り返りながら記しています。
今回は、犬と音に関することを綴っています。
年月は経過していますが、色褪せない想いです。お付き合いいただければ嬉しいです。

録音したら、犬の歌声が重なっていた
私は趣味でピアノを弾く。
2004年。
生後1ヶ月半の子犬を迎えた翌月がピアノの発表会だったので、毎日ピアノばかり弾いていた。
最初は、私が弾くたびに大きな声で吠えた。
そして、私の踏むペダルが気になるらしく、ちょっかいを出したり噛んだりしていた。
うちに迎えて2週間くらい経った頃であろうか。
弾き出すとお昼寝をするようになった。
発表会前で、結構ハードな練習をしていたので、耳心地は良くなかったと思うのだが。
起きているときには、長椅子に乗りたがった。
器用に前脚をかけ、体を伸ばした。

発表会は暗譜。
そして、レッスンに通っているとはいえ、
弾きやすいパートとそうじゃないパートは自然と速さが変わってしまう。
音楽は聴いてくれる人のために奏でるもの、と師匠に教えられた私は、
毎回、曲の完成が近づくと、演奏を録音して客観的に確かめる。
録音を確認したら、最後の方に犬の声が重なっていた。
ゆっくりと光を、視力を、失っていく
私の犬は、進行性網膜萎縮症で失明した。
進行性なので文字通り、ゆっくりと進行した。
うちに迎えたときは、ボールを追いかけたりしていたので、まだ見えていたと思う。
しかし、目は常に緑色に光っていたので、
既に瞳孔が散大してタペタムが見えている状態だったんだろうな、
見えにくかったんだろうな、と今になって思う。
ゆっくりと光を、視力を、失っていく。
視覚を補うように、聴覚が鋭くなっていく様子も感じていた。
不思議な絆が生まれた
当時、弾いていた曲はピアノピースで売られているようなメジャーな曲ではない。
しかし、繰り返し、繰り返し、聴かされていたからであろう。
ついに、始まりの和音を弾くと、ムクっと起き上がり、
リズムとメロディに合わせて遠吠えのように歌い出した。
犬ってすごい・・・と思った。
しかし、その言葉は数年後に軌道修正する。
2年後に迎えた子犬は、食事前の3分クッキングの音楽にだけ反応し、今の3頭目は無反応だ。
改めて、この目の見えない犬、何だか凄いと思った。
信じられないくらいに、ちゃんと歌っている。
まさかね、と何度か犬の意表を付くように、
何気なく練習の合間に、他の曲の間に挟んでみたりしたが、
この曲にだけ、反応して起き上がり、姿勢を正して嬉しそうに歌う。
まるで自分のテーマソングであるかのように、誇らしげな姿で。
お散歩の時になどに、よく私の声を聞き分けているな、と感じていたが、
本当に音に敏感で、しかも好みってあるんだな、と嬉しくなった。
失った視覚を補う五感がある。
うちの犬の場合は、聴覚だった。
事あるごとに、合間にその曲を弾いて、反応を見るのが楽しくなってしまった。
他の2頭は依然として無反応。
不思議な絆が生まれた。

・・・旅立った直後は、しばらく弾けなくなった。
滅多にないが、街中でふと、その曲に出くわすと涙が自動で流れた。
今は少し落ち着き、遠吠えのような、その歌声が聴きたくて、時々弾いてしまう。
愛しさは変わらない。
生きていた時間より、空にいる時間の方が長くなってしまったが、むしろ、増す一方である。
飼い主としての想いや取り組んだことを当時を振り返りながら記しています。
今後もお付き合いいただければ幸いです。